🎼神々の宿る世界樹 ~機神(おに)たちのユグドラシル~Ψ

神仏を敬い鬼神を祀る機神教団の色々アウトな地下迷宮です。尚、オフィシャルサイトでは御座いませんので神社仏閣の擬Zi化につきましてはタカラトミー様ならびに神社仏閣関係者様からの苦情がありしだい画像を消去いたします。

伊豆國市韮山 若宮八幡神社   YZ-10

🎼南海皇の皇子 SPEC・・・<名前>ワカミヤハチマン神社  Ψ祭神 御子神皇大神事代主命 ≪発掘場所≫〒410-2143 静岡県伊豆の国市韮山字平山569・・・地域単位で考えて仁徳天皇では無く三嶋信仰の若宮様(皇子)の事だと思われる。南方の海から上陸してきた三嶋大明神の随神。ちなみに八幡はヤハタともいい、ヤとは古語で神、ハタ(わた)は古語で魚や海を表す言葉である事から八幡信仰のルーツが海神、渡来氏族のものである事がわかる。……ただし若宮が八幡神の御子であるというのは平安時代以降に現れた信仰である。

 南条は韮山町の南西部に位置し、西は沼津の長浜辺りから北流する狩野川を境に長岡町に、南は大仁町に接している。主な産業は稲作、養蚕、イチゴ栽培を中心とした農業であるが殆どは兼業農家である。鉄道が開通後はどんどん人口が増加して宅地開発が進み、かつて存在した古い神々への信仰は少しずつ忘れ去られていった。



 
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 意利日神社、竈神社と2つの鎮守を後にした。
 真如から徒歩で進む8月の蒸し暑い田舎道の片側には意利日神社から伸びる山が続いているが残念ながら陽射しを防いではくれない。


 山の角には道祖神たちが祀られていて猿田彦と刻印された石と恵比須が描かれた石がみえる。
 猿田彦は山の恵比須は海の道案内を司るから、つまり路に迷わないよう護っている道祖神である。


 長い小山を背に住宅地が形成されており、少々狭くていりくんだ道を汗だくですすむ。
 真夏の太陽に湿気で本当に蒸し暑い。

 この住宅地はほぼ氏子さんで構成されている。

 参道の入口は地味である。ここから30メートルほど進むとほどなく右手に狭い駐車場も見えてきて前方には鬱蒼と繁る竹藪がみえ、狭くて雑なコンクリートの道を吸い込んでいた。



 男はおもむろにバックパックを漁る。
 安物のジャケットに虫除けオイル、蚊が居なくなるスプレーをふんだんに振りかけた「耐蚊スーツ」
 怪しい商人から買ったアイテムを満足げに眺める。

 長くてうねる竹藪の山道は想像より草だらけですでに蚊に刺されていた。
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 もう2、3匹寄ってきてまさに旅の同行者といったところだろうか。山の蚊はとにかくしつこい。


 このような所でのんびりすればたちまち藪蚊の大群に包囲されてしまう。

 そのため心臓破りの坂を全力疾走することになった。

 ようやく鳥居が見えた頃には汗だくになっていた。

 若宮八幡神社は、秀吉の攻撃で焼失した天正18年以前より鎮座していたことになるがそのころはまだ「若宮神社」だったという。再建された時に若宮八幡神社になった。平安時代以降、八幡神応神天皇と考えられるようになりその御子である仁徳天皇が若宮八幡であると考えられるようになっていた為、現在この社の祭神を調べるとオオサザキノミコト(仁徳天皇)となっている。

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 現在は3つの社殿が横一列にならんでいるが
かつて稲荷の祠が沢山ならんでいたり、八幡様が小さな祠に納められていたり、合わせて馬が祀られていたことから南条では昔から白い馬を飼ってはいけなかったという。



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 まず主神に御挨拶。例によって何の神様かは先入観を持ちたく無いため調べないのである。

 向かって左の社殿には馬頭観音など10柱が祀られているという。



 幕末には韮山修善寺の神主を中心に「玉鉾隊」と称する在野の勤王隊が結成されたが南条の石井豊後守もこれに加わっていたことがわかっている。



拝殿横に通路あり





・・・鬱蒼と繁っててここで行き止まりですね。因みにこれらのルートはお祭りの際、神主さん達が駈け降りる為の路で、祭りの前日には下の住宅地まで総出で草刈りをする。

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