🎼神々の宿る世界樹 ~機神(おに)たちのユグドラシル~Ψ

神仏を敬い鬼神を祀る機神教団の色々アウトな地下迷宮です。尚、オフィシャルサイトでは御座いませんので神社仏閣の擬Zi化につきましてはタカラトミー様ならびに神社仏閣関係者様からの苦情がありしだい画像を消去いたします。

伊豆國市韮山多田 熊野神社  

🎼御飯は二杯盛りが基本です。SPEC・・・<名前>タタ・クマノ神社  Ψ祭神 イザナミ命&イザナミ命 相殿に速玉之男神大事忍男神八幡大神、十三皇大神
 🔷祭り🔷 1月1日「元旦祭」、2月11日「建国記念祭」、9月1日「風祭り」、10月15日「例大祭
≪発掘場所≫〒410-2133 静岡県伊豆の国市韮山多田751

 ・韮山町の神社より
 
 むかしむかし。“長崎”という集落のそのまた南に隣接する集落があり、その集落を牛鍬村と呼んでいた。牛鍬村は度重なる水害にたいそう悩まされており、永正年間に村ごとこの多田の地へ移転しきたという。
 一説によると現在、多田から長崎へ向かう途中、長崎の入口付近にある巨木が旧牛鍬村の名残であるといわれ、その地の小字は“牛鍬”になっている。このように多田はムラ全体が移住した伝承を持ち、歴史的にも興味深い土地であると言える。


 遡ること韮山城熊野神社を訪れたあの日・・・実は近くにもうひとつ熊野神社がある事を知って慌てて撮影に行った夕方の御参り。
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 かつて長崎の牛鍬村より水害から逃れた移民団がいた。そのリーダーは梅原入道。
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 移民団が多田へ来たとき、そこには恐ろしい毒を持った竜(もしくは蛇)が棲んでいてとても危険な状況でした。そこで梅原入道が弓をつがえ、
この悪い竜(蛇だと思うよ)を射殺します。これで村に平穏が訪れた………かに思えた。



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 ところが毒を持った竜(もしくは蛇)を倒してしばらくすると村中に疫病が蔓延るようになり、再び暗雲が立ち込めた。

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 そこで退治した毒を持った竜(たぶん蛇)の祟りだと考えた梅原入道はそれを供養する為に慈光寺を開基した。すると村は再び平和になり人々は何時までもそこそこ幸せに暮らしましたとさ。



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 この場所には移民団が訪れる以前から熊野神社が祀られており山宮と呼ばれていたという。

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 移民後は鎮守であった荒木神社をこの小山に還座して一時期は荒木神社熊野宮という名前で呼ばれた。


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 小山の神域に後から牛鍬村の鎮守である荒木神社を持ってきてその祭司を行っていた梅原入道がここに荒木の祭りやらなんやらを持ち込んでいった結果……

 ここは熊野神社というよりはもうほぼ荒木神社になっていた。


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 そのため牛鍬の荒木神社が後から来たのに最初からいた熊野神社が牛鍬の荒木神社に合祀される感じになってしまった。


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 やがて牛鍬から多田へやって来た村人たちの子孫は村の鎮守様としてこの神社の名称を晴れて「荒木神社」に改めようと嘆願書を出すも事件が起きた。

 実は荒木神社という名称は既に原木の式内社として存在していたのだ。そちらの由緒は常陸の国の建国や「茨城」という地名に密接に関連している日本の建国的にも無視できない存在であったのだ。
 そのため嘆願書は受理されずむしろ「熊野神社」という由緒ある名称に戻されてしまう。
 
 こうして何だかよくわからない合成獣のような神社が誕生してしまった。


 こちらの神社をもっとも特徴づけているのがこれ。
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 木の根っこが社殿をぐるりと囲んでいる、
或いは建物を避けるように根っこが生えている。



 元々、山宮、熊野神社というぐらいだから山伏の他に木こりやハンターなどが代々信仰しているはずであり、そのような方々が専門知識を生かしこのように加工したのかもしれない。



 もしくは社殿の霊力でこのようにねじ曲がる……ことなんてあるのだろうか?

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木の根が
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まるで拝殿を避けるかのように
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伸びています。断面などありません。

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 いにしえの時代、人々は山に神が住んでいると信じていた。山は文明と隔絶された原始の世界。
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 山はあらゆる生命(生きた魂)を平等に扱う神域にしてサバイバルの世界。人間が本当は何者なのかを教え死の試練を与える場所。

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 ここは熊野神社の神域、山の精霊の在処。
遠い昔、人がやってくるまで毒の龍が護りし多田の森。


 


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 でも、宮司も氏子も祭りも牛鍬村の荒木神社なのでほぼ荒木神社なのである。







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