🎼玄い稲荷神。
SPEC・・・・・<名前>カミワケ・イナリ神社 Ψ祭神 茶枳尼天?、薬師堂 ∞豊穣、導き 《発掘地》〒308-0063 茨城県筑西市神分559・・・・村社とは無社格の上、郷社の下の位。此方は社殿の代わりに2つの御堂が別々に配置されており仏教系である可能性が。片方の合祀された御堂が薬師堂だとすれば、拝殿に当たる場所にある御堂奥の神棚に祀られているのは仏教式の稲荷神、茶枳尼天であると推測されます。因みに茶枳尼天とはヒンドゥー神話における悪神カーリーの侍女にして人肉を喰らう魔女ダーキニーの事であり、考えようによっては気味が悪い。
《神分稲荷神社》
部落の名称の由来
神分(かみわけ) 古くは、この部落は大谷川(おおやがわ)の西にあったが、その南に八神を勧譲し、“高天ヶ原”と名付けた。後に部落を現在のところに移したときに高天ヶ原の神様を八ヶ所に分けて祀ったので神分村と称したという。中略 寺社としての稲荷明神 長福寺(天台宗最勝寺門徒)
中略 稲荷神社本殿の建立に関した資料は伝わらずここに記すことはないが、戦前(太平洋戦争)戦後を通じて村内安全、五穀豊穣、無病息災と村の鎮守尊として信仰されてきた。旧神社は、昭和二十四年に改修されている。
ちなみに高天原の場所は巨石を掘って作られたおびただしいモニュメントや神殿の痕跡から紀元前の富士山麓であるとする説があります。そして北関東に常陸国を建国したのは伊豆の国市の茨城郷に住んでいた加茂一族(火と鉄の民)ゆかりの豪族・・・・つまり、その豪族の末裔の更に末裔が遠い記憶をたどり御先祖様の故郷である「高天の原」をこの地に再現する事で、御先祖様のパワーを得ようとした一種の儀式だったのかも知れません。(^_^)v
・・・それか、ただ後世になって西日本の高天の原伝説を聞いた上で、単に験担ぎや村起こし的な意味で
配置しただけかも知れませんが・・・・。(^_^;)
前回に続きまして国道を挟むように鎮座する稲荷神社のうち北側の方に行きます❗はいあっさり到着❗
今回駐車場は御座いません❗参拝❗静岡県伊豆の国市の荒木神社と似たような導線です。2の鳥居。あらためて御辞儀。
南側の稲荷神社と違い、色々合祀されていますが、殆ど仏像。右手側からご挨拶。仏像と仏像の間に祠があります。・・・・のでまとめて仏式で拝む事が出来そうにない。😅一番奥に大きな祠。夫婦神でしょうか?現段階で詳細は不明です。
では、向きを変えて対面にある堂へ。一応こちらが薬師堂だと思います。ご挨拶しつつ奥を覗いてみる
薬師如来・・・?では拝殿へ。お伊勢さん・・・?😅
奥の方に確かに狐っぽい人形は見えます。お祈りします。
こちらは恐らく御神輿ですね。側面&背面
こちらは拝殿と本殿の区別が御座いません。運動コートが隣接している。以上、村社稲荷神社でした。神社というより限りなく寺院に近い感じでしょうか。帰りの電車より。このあと東海道線は止まり小田原に一泊することに・・・。