🎼護衛艦隊のアイドル。
SPEC・・・・<名前>アシガラ神社 Ψ祭神 聖観音菩薩(足柄明神)、日本武尊&天照大御神 🔷祭り 歳旦祭1月1日、祈年祭2月12、春祭り3月3日、秋祭り10月9日、七五三詣式11月15日、新嘗祭11月23日、大晦日12月31日
《発掘地域》〒250-0135 神奈川県南足柄市苅野274・・・・・・・・
《由緒書きより》足柄神社は、かつて「坂ノ神」として足柄峠に祀られていたとされる足柄明神が矢倉岳、更に現在の苅野に遷座し矢倉明神と呼ばれていました。昭和14年(1939)に足柄神社に改称されて、今も南足柄の総鎮守として信仰を集めています。
平成20年に社殿の調査が行われ、いくつか特徴的な事が分かりました。現在の社殿は、本殿(※御神体がある奥の小屋)と拝殿(※お詣りする小屋)弊殿(※拝殿と本殿の間にある)とを廊下で繋いでいますが、元は独立して建っていました。
材質は欅の素木仕上げで堅固さと優美さを兼ね備えています。本殿の建築は由緒碑によれば慶応2年3月(江戸時代)とされていますが今回の調査からこの記述が妥当である事がわかりました。
~ 🏔️ ~ ⚓ 偽りの詩姫 ⚓ ~ 🐚 ~
東征中のヤマトタケル一行が足柄峠の麓をキャンプ地とした際に、峠道に草木が覆い繁り、都への帰り道が解らなくなっていました。そこへ白い鹿が飛び出してきてタケル達を導き無事に足柄峠を抜ける事が出来た為、記念に社を建てた。
的な事が公式サイトに書かれていますが・・・・これは、御殿場市二の岡にまつわる伝承とズレがあります。
何しろそちらの方では飛び出してきた白い鹿にヤマトタケルが弁当をぶつけて、斬り殺してしまっているのだから。そして、足柄峠の山頂では弥生時代以前の古い遺跡が発見されているので、恐らくこのヤマトタケルと足柄峠の伝説は、ヤマトタケル側が足柄峠に住む鹿の豪族を行き掛けの駄賃に征服した話だと思われます。それが、遥か後世になって朝廷、天皇の支配が盤若の物となり全国の王が恭順の意を示してゆく中で、また明治政府が「日本神話」を編纂して行く過程で朝廷との主従関係を強調するために作られたカバーストーリーであると勝手に思っています。いずれにせよ、この「足柄神社」はそれら偽りの設定をも土台として取り込み成り立っているので、それはそれでこの神社の個性なので良い。実際に現在、護衛イージス艦「あしがら」を守護する女神になりましたし大出世。
なお、以上は私が乏しい知識の中、直感でテキトーに考察しているので全然違う見解もあるかも知れないから真に受け無いでね?
いずれにせよ、私はこの娘がいくらアイドルとして上手く行っているからといって、元の足柄明神時代(玉手姫の頃)を無かった事にして御祭神を政治的な天照大御神と日本武尊等といった出雲、伊勢系のみにすることには反対の立場です。それに神仏習合の結果である聖観音菩薩の存在も合わさって初めて足柄神社なんじゃないかと・・・・・思うのさあ🎵
確かに彼女は政治的に利用されることによって、今の地位に成り上がる事が出来ました。ですが、政治利用したい余り、彼女の元の記憶や魂を書き換えて感情のない人工的な偶像にすることだけは、どうかしないでいただきたい。
エンシェント・タイプ
・天照大御神 ・山神社 ・山王社 ・金山社
・不明の祠 9柱 ・瓊々杵命(日本武尊の後の証言より)
⚠️このゾイドは以上の要素から成り立っております。
着いちゃった足柄神社。
ここを目指して足柄峠に挑んだ時は、金太郎ゆかりの神社だと思っていた足柄神社。
蓋を開けてみれば祭られているのは、ヤマトタケル伝説に登場した白い鹿。坂ノ神・・・・。
ヤマトタケルに弁当をぶつけられ切り捨てられた後、
御殿場市の二の岡で霧を発生させてヤマトタケルにご免なさいさせた神様。それが彼。
いや、「彼女」と言うべきですかね。
とにかくキッツい坂。多分、坂ノ神を表現してるんだろうけど勘弁してほしいですな❗( :゚皿゚)
角度的に箱根金時山でしょうかね? ここは兎に角見晴らしが良い。そしてここに住宅地と畑があるのは何でなんだ⁉️w
・・・・見た感じ駐車場は無いですかねえ。
民家がある位だから、裏からクルマで上がろうと思えば上がれなくは無いんだろうけど。停める場所も無いし切り返しもしんどいぞと。
傾斜もきついから、オートバイなんてもっての他ですかね。
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一応、マップを開いて見ましょう❗
こんな感じ。
坂を登りきると、いきなり左手に何かあります。
(゜ロ゜)
祠、石仏・・・。
まるで密教寺院の入り口のような案配。
本地堂。
本地垂迹説といって、大昔、神道と仏教(密教等外来の信仰含む)が政治的な理由から融合した時に、神々は仏教に帰依したがっている。何神々の正体は仏であり、仏が人間を救うために神々の姿を借りて現れるのだ❗
とかなんとかややこしい説が生まれたらしいです。
では、聖観音菩薩様としての足柄明神(公式には男神とされる女神)にまずは参拝。
古い建物ですが、かなり細工が凝っていてなんというか・・・・。カッコいい。
由緒書きによると、平安時代から鎌倉時代にかけて盛んだった本地垂迹説(インドにいる仏様が日本人を救うために神社の神様になった説)によって建てられたお堂なので、昔は矢倉明神の別当寺、弘斉寺が管理していました。
現在は苅野岩村地区の57軒で管理しています。
縁日は8月9日で昔は念仏講中が念仏を催し、若者講中が燈籠を点けるなどして賑わったそうです。
境内には300年もの庶民信仰を示してくれる庚申塔などの石仏祠群があります。
坂の頂上にある神社の鳥居は、同じく頂上にある住宅側に向いています。
参拝しまーす。
二の岡神社の伝承の中に出てくる坂之上の白い鹿の神。それが祭られている神社であり、更には・・・・・。
どうも、この神様には表向きの顔と真実の顔の2つがあるような気がしてならない。
ある公式本には、祭神は誉田別命ということになってますね。他に峠の中腹にある足柄明神や由緒のハッキリしない桑木神社も同様に誉田別命がねじ込まれている。(女千木や謎の石像から姫神が祀られていることは誰にでもわかる)時の権力者によってカバーストーリーを施されて来たことは間違い無いと思います。
かなり凝った彫刻が施されています。
矢倉明神だった頃はバラバラのお堂だったのだろうか?
足柄明神について、ヤマト朝廷からの視点で描かれたとおぼしき二の岡神社の伝承のなかに出てくるのは紛れもなく男神。
けれども足柄峠の言い伝えでは、足柄明神とは女神玉手姫のことらしい。
そして足柄峠からは足柄明神ゆかりの豪族たちのものらしき古代遺跡が出土している。
・・・まあ、その内近くの図書館で調べて見ましょう🎵
奥に何かいっぱいある。
千と千尋の神隠しに出てきたオカンの話では神様のお家。
源流は恐らく道祖神。石を掘っただけの道祖神に小屋を造ってやったのが始まり何じゃないのかな。(テキトー)
一応、集落中にあった年代不詳の祠などを集めたもので
これらも遺跡の一種である。
・・・・って書かれてる。
そろそろ日が暮れるので帰りましょう🎵
一度小田原駅を目指し伊豆箱根鉄道大雄山線で終点の「大雄山駅」で降り、そこからバスに乗り「足柄神社前」で降りるのがセレブなルートです✨