🎼新政府の計画により誕生した不完全体
SPEC・・・・<名前>フカラ神社 Ψ祭神 天田下各地の神々 ∞強化守護神 🔷祭り🔷2月15日(祈念祭)、7月15日(月次祭)、9月1日(ヨシダサンの祭り)、10月16日(例大祭)、11月23日(新穀感謝祭)、12月25日(大祓祭)※大掃除
《発掘地域》〒410-1102 静岡県裾野市深良 裾野市深良278・・・・・・この神社は、天田下の各地にあった神社を明治の頃に集めて合祀したものだと言われる。元々この場所には神明宮という神社があり、そこへ南堀の八幡宮、浅間社、天神社を合祀したと言い伝えられる。
入り口横の碑文には、明治39年に政府からの神社合祀の指示により1910年に合祀を開始し、1913年に完了して「深良神社」と命名したと記されている。1906年の神社合祀は政府の政策として全国的に実施されたもので、どの地区でもそれまであった神社が統合された。中心となる有力な神社があった場合はその名前が継続されたが、そうでなかった場合は新たにその地域の名前を社名に採用する事が行われた。政府に従順かつ強力な神社を生み出し、それを各自治体の中心に置くことで国家全体の戦力を整えようとする計画であったが、その代償として
素体にされた神社達の由緒は書き換えられ、元の記憶や性格は消滅してしまった。
~ 南堀の八幡神社 ~
合祀以来、今も浅間社、天神社は境内の小祠に祀られているが、八幡宮だけは元の南堀に戻して祭っている。この経緯についての言い伝え。
明治39年8月、八幡社の御霊代(神社コア)を深良神社に合祀すべく御輿に安置して夜間に運び出したところ、南堀と町田との境でどうしたことかこの御霊代が落ちてしまった。夜間の事でその後無事、深良神社に納められたのかそれとも南堀に帰ってしまったのかそれは不明ですが、少なくとも御輿を担いでいた人々は間もなく病死してしまったという。
なお、もと南堀には八幡社、天神社、社口社、山神社、天白などがあったという。
やっと最終目標
大きな神社らしく、富士急さんのバスストップがあります❗至れり尽くせりですね😃
いつもこうなら良いのですが❗
綺麗な景色です。本当に綺麗。
(^_^)
こんな綺麗な景色を見ていると・・・・・。
なんだか鼻くその話をしたくなりますねえ🎵
皆さんご存知でしたか?鼻くそは良質なバクテリアの宝庫で、呼吸器感染症や胃潰瘍、HIVの予防に役立つという噂。
鼻くそを食べることによって歯周病の予防にもなるとかいうハーバード大学の研究の噂。
もうね、始皇帝に遣わされた徐福さんもビックリですよもうw
ご覧の通り細道を通れば橋桁を利用した駐車場があります❗バイクもクルマもウェルカムなのが素晴らしい❗但し途中の道がスレ違い不可能。
こちらは裏口に当たるので、鳥居のある正面にまわり一礼して入室するのが紳士の嗜み。
祀られてる神が女神様なら顰蹙買うしな。
深良用水から引いているのだろうか?綺麗な水の路が横切る。
・・・・ん?( ゜o゜)
ありゃりゃ?!Σ( ̄□ ̄;)
なんだこのスペースは?
・・・・・・あー
そもそも入り口はアッチだーー!www
はいはい一の鳥居を出ると住宅地に出ますー
信号のところを曲がればここに出る訳ですねー✨
・・・・・・・・
はい、えーという訳でTAKE2
こちらが裾野市が誇る荘厳な深良神社でございます❗
ご覧のように田畑と集落の真ん中に鎮座なさってます。中を覗いて見ましょう✨
駐車場は安心の大容量。石で出来た鳥居に接触しないように慎重に乗り入れましょう。
鳥居の左手に何かがあるようです。これは
何でしょうか?
金魚鉢でしたー可愛いですねー
それでは、深良神社さんに参拝したいと思いまーす❗
鳥居を潜る前にお辞儀をしましょう❗
この通路は参道といいます。参道の真ん中は神様の通り道と言われておりますので失礼のなきように端っ子を歩きます。
しばらく行くと二の鳥居が見えて参りました☆
横を流れる水がとても綺麗?ですね?
注連縄が変わった形をしています。それでは境内へ突入する前にもう一度、お辞儀をしましょう✨
境内は爽やかな春風。涼しいですねえ
・・・で、大小の社殿が3つある訳よ。
二の鳥居のすぐ横に石板があって、どうやら由緒書きのようなものが書かれている模様❗
・・・神明社・・・・浅間神社・・・八幡宮、と読めますがよく見えません。
とりあえず、由緒については後程、図書館で調べるとしてここは神に挨拶して行きましょう🎵
何が祀られているのか。神明社なら天照大御神だし、浅間神社なら此花開耶姫、八幡宮なら誉田別命でしょうか?
左手のミニマムな社殿。なかには・・・・。
不思議な像。この辺で盛んな子之神信仰のトーテムだろうか?
謎は深まるばかり。
で、向かって右手側に中ぐらいの大きさの社殿があります。
これが神明社かな?
※よしださん らしい。
なんにせよ、この神社が元は何だったのか?気になるところではあります。何しろこの辺一帯の地形は神社の境内を囲むように集落が形成されてるっぽいし、
元々古代神殿があった場所に小さな祠が立っていてそこへ近代に入ってから色々建てた感じがします。
ここら辺は元々地盤がダタラという水捌けの良い岩盤なので深良用水が完成するまではここまで掘り下げられた田畑は無かったのではないかと。
(進撃の巨人の腕のような杉w)
だからこの場所は地形がこうなる以前から鎮守の森が存在してたんじゃないのかな?と思います。
紀元前の遺跡満載な愛鷹山を背負うように立つこの神社。もしかしたらストーンサークルでもあったんじゃかいのか?とか妄想が膨らみます❗
(⌒‐⌒)
なんにせよ、「神明社」や「八幡宮」がグイグイ前面に押し出されている印象なので整ったのは明治でしょうが。
絶対、あの場所に何かがあった筈だ❗
そしてこのラーメン屋。パンにあうラーメンが売りですがもう創業10年越えたんじゃないかな?
給料入ったら行きたい❗(⌒‐⌒)
ではではミッションも果たしたし、このまま赤子神社に顔を見せてから岩波駅直行で帰りますね?
んじゃ今日も冒険お疲れ様でしたー✌️