🎼神々の宿る世界樹 ~機神(おに)たちのユグドラシル~Ψ

神仏を敬い鬼神を祀る機神教団の色々アウトな地下迷宮です。尚、オフィシャルサイトでは御座いませんので神社仏閣の擬Zi化につきましてはタカラトミー様ならびに神社仏閣関係者様からの苦情がありしだい画像を消去いたします。

遠江一宮 小国神社

 

 

 磐田市から掛川市に掛けてまるで龍の爪のような山があるが、かつてはこの一帯が小国神社の境内地であったといわれる。沢山の古墳と寺社仏閣が乱立し、城跡も複数存在する。そのすべてを内包していた上に中世までは手に入れた土地や財産を神社やお寺に預ける銀行システムによりさらに西は浜松市、東は掛川市にまで影響力を持っていた時期もあるのだから、それを支える神主や住職の数が数百人いて年間の大祭が百件越えであったとしても誇張ではあるまい。

 

 欽明天皇の時代に突然本宮山に出現した御神体。それを祀る為に創建したのが始まりとされる。

 が、実はもともとそこに古代遺跡があり森町の天宮神社や伊豆国市の加茂川神社同様、かつて何らかの事情で故郷を去らねばならなかった古代氏族が大和朝廷の中で力を持ち古地に帰還して返り咲いた時に創建ないしは神殿を当時の法に照らしあわせて建て直しと祭りの再編成をしたのではなかろうか? 大昔の神社は今の我々が想像する以上に社会への影響力と権限があり、神社を創建する、ということは征服され浄化された民族、お取り潰しになった家の再興を意味したものと思われる。

 平安時代に大規模な神社調査があって、そこで由緒を辿ることが不能なレベルで古い神社は「延喜式」というノートに記載されていった。延喜式内社はそれだけ神世に近い存在であり霊力が高いと見なされた。

……もちろん、小国神社が中世までに強大になった理由はそれもあるが本宮山という「当て山」を持っていたのが大きい。例えば第一の鳥居の横にあるこの小さな社なんかがそうだが、関東の船乗り達は小国神社の山を基準に航海をしたという。その際どういう訳か山に火が灯され視認しやすかったという。おかげで漁業が成功し村のみんなが飢饉から脱したのでここにお社を建てたのがルーツだという。

 少し奥へ進めば池があり小島に宗像神社が祀られている。これは境外末社の天宮神社と同じで小国神社の神が出雲神話に関係があるためだろうか。

 

 小国神社はもともと太古の時代から続いていた山岳信仰をベースにしていた為に険しい山の中に無数の神社が存在したが、それらは修験道の取り締まりや衰退等により徐々に修繕できる人が減った為、お社が風雨で潰れた為に中身を一ヶ所に集めて一括管理するようになったらしい。

 

 

 本殿を敢えて脆い檜皮葺きにする理由は元々は山の信仰と関係があるのだろうか? 少なくとも材料はすべて境内地の山から取り出してくることから、定期的に山神の力を補充する意味合いが強いのだろう。

 

 大物主命(大国主命)は、インド名をクヴェイラといい、縄文時代伊豆半島に来ていたことが遺跡から判明していて三つ巴の紋章からエブス人だと思われる。エブス人は中国では「越人」、西洋では「アビス」と呼ばれた海の一族である。

 そして日本においてはエベっさん、そう呼ばれている。