神々の宿る世界樹Ψ機神(おに)たちのユグドラシル

東海方面を中心とした遺跡や小さい神社などを探訪するブログです。

蛭ヶ島とジャンボタニシ

 伊豆半島の根本、伊豆の国市には異変が起きていた。

 7月も下旬になろうという頃、田んぼのあちこちにピンク色のイクラみたいな塊がくっついている。田植えの時期はとっくに過ぎているのに苗が見当たらない田んぼは黒い小石だらけ。

 

 

 スクミリンゴガイの原産地はアルゼンチンで、日本へは減反政策の最、休農地を活用する為に1981年、台湾から輸入された食用の貝類である。ツブ貝のようにコリコリした味わいの内陸部でも食べられる貝類という触れ込みであったが、残念ながら当時の日本は様々な風土病との闘いの中で淡水性の魚介類に対して危険な寄生虫のイメージが定着しており、全く需要が無かった。実際、スクミリンゴガイには日本住血虫という、感染したら脳が食われて死亡する危険な寄生虫が住んでいる為に、取り扱いには細心の注意がいる。

 田んぼの中の黒い小石は全部スクミリンゴガイなのだ。

 

 そうして国から放置されたスクミリンゴガイは、用水路などを経由してドンドン繁殖してゆき、日本中の田んぼに広まってしまった。

 スクミリンゴガイは澄んだ水よりは腐った有機物の沈んだ淀んでいる場所を好むから肥料を与えた田んぼなんて絶好の住処だ。彼らは稲を軒並み食べてしまうが新鮮な稲を食べているわけではない。稲の茎を齧って切り倒すことで葉っぱを水面に落とし、しばらく水にさらしてから食べるのだ。新鮮な植物には毒があるので、そうやって毒抜きをしているらしい。

 

 スクミリンゴガイが繁殖した田んぼではそうやって植物という植物を齧って倒して毒抜きして彼らの食料庫にされしまうのでご覧の通りただの腐った有機物の池になってしまう。

 ちなみに彼らは浅い水深では稲よりも雑草の方を優先に食べる性質があることが研究で解っており、水かささえコントロール出来れば全自動で草取りをしてくれる上に田んぼに養分をもたらしてくれる。

 ただ、それはあくまで理論上の話であって実際には丸一日雨が降れば田んぼの水かさなんてすぐ上がってしまうし、記録的な豪雨が降り続けば溢れた水に乗り道路を越えて他の田畑へ民族大移動を開始してしまうから、”ジャンボタニシde無農薬栽培“はやらないほうが良い。

 

 

 スクミリンゴガイのメスは身体が大きく、複数のオスと交尾することが出来、ピンク色の卵の塊を水に触れない場所に産みつける。どうやら水に浸けてしまうと卵が孵らないらしい。

 この卵の塊には複数のオスのDNAが含まれている為、例えば卵に効果のある薬剤を撒いて死滅させてもたまたまその薬剤に耐性のあるヤツが生き残って繁殖することが出来る。

 さらに卵自体にタンパク質由来の毒が含まれている上に味も苦く、卵を食べようとする天敵があまり居ない。

 

 ピンク色のジャリジャリした卵を潰すとアメリカの玩具みたいなピンク色のどろっとした液体が出てる。

 食用として輸入されただけあって親であるスクミリンゴガイ自体は大変美味らしいが、この卵は加熱して無毒化しても苦くて食べられたものでは無いらしい。さらに卵一つ一つがカルシウムの殻で出来ている為に食感も最悪である。

 スクミリンゴガイのメスは毎日この卵の塊を産み続けるから一度、田んぼに侵入されたらお手上げである。ただ、ここより標高の高い地域では姿が確認されていない。

 スクミリンゴガイは今のところ気温がマイナス6度になると死滅してしまうためらしい。

 

 

 

 

 

ドワーフたちの村

 かつてそこは川の淵に出来た湖のほとりでした。

狩野川は今より遥かに大きく水量があり、鰐のカヌーが沢山走っていたそうです。

 かつてここには鍛冶が得意で背丈が低い人達の大きな大きな村がありました。

 狩野川流域にはいくつかの島がある為、島ごとに社会的役割があるに違いありません。

 

 伊豆半島を縦断する狩野川は大昔、今よりずっと大きく広くて川が曲がりくねった場所には水が溜まって湖ができていたのです。

 カムナミ村にも秋がやってきました。

 人々は船を造り漁に出たり、近くの“イビサ島”やナーガ丘へ礼拝にゆく敬虔な親子、川を南下してたたら場へ出かける鍛冶屋、山で木の実を拾い男達が獲ってきた魚と煮込んで昼食を作るお母さん、狩野川から陸地にある浅瀬の海を経由しつつさらに別の川へ渡りながら交易をする行商人や芸者など色々な人達がいたのでしょう。

 

 大人も子供もみんな身長が低くてずんぐりむっくりしていました。

 牛の角のついた兜を被ったいかつい戦士たちは重い斧や剣を降ろしては、めいめい丸太の椅子へ腰掛けテーブルに地図を拡げながら険しい表情をしています。

 どうやら大きな戦争が近いようです。

 金細工が施された甲冑を着た肌の黒いおじさんたちは、沢山の山と沢山の海の向こうにあるスーサ王国の戦士たちかもしれません。

 

 

 「…もうすでに大陸の動乱が最悪な形で決着がつき候、宰相の動きを見るに我がスーサ国の政治の中枢にまでスパイが紛れ込んでいるとのこと」「スンダランドの海上封鎖はどうなっている?応援を行かせ無くて大丈夫なのか?」

 「筑紫に出没している海賊は軍隊なんじゃ無いのか?! ア族はなんと言ってる!?」

 「スパイがいるんじゃ無いのか!!」

 心配の種は次から次へと出てくるし、そのいずれにも対処しなければ、今の平和で豊かな生活は維持できないし戦士として産まれて来たなら戦わずに国が終わってゆくのは屈辱なのかもしれません。

 「大穴持ちご判断を!我らにご指示を!偉大なる大穴持ち、今こそご決断を!」

 穴蔵のような宮殿から外を眺めていたドワーフの男はモジャモジャのヒゲを撫でながら思案していましたが

 「お父さーんご飯できたよ~!」と子どもが呼びに来ると、皆の顔を見てキッパリこう言うのです。

 「まずはメシだメシ!腹が減っては戦はできぬ!」

 そこで軍議は終わりました。

 

 

 ここからは楽しい食事の時間。

 採れたての食材を煮込んだご飯を酒で流し込みながら武勇伝を語る勇者に、遠征にかこつけて異国の美女にうつつを抜かす男、浮気を疑われ奥さんに殴られたり子供に泣かれたりしてオロオロする厳つい隊長さん。

 軍に随伴する行商の旦那は異国のアクセサリーや玩具を奥さん子供にプレゼントして抱きしめる。

 カムナミ村は神様に祝福された村。

 とある原人から枝分かれした小人族の平和な村。

 いつか人がいなくなって、お墓として使われ出す寂しい村。

 

 

 

 

長泉町 割弧塚稲荷神社

 カグヤ姫が煮えたぎる火口へ投身した直後、山は激震しドロドロと流れ出した大量のマグマは麓の川を埋め立て街や村や農地を飲み込み古代の都をポンペイのように壊滅させてしまった。

 

 

 長泉町下土狩という場所にひび割れた饅頭のような丘が見えたらそこが割狐塚である。

 今から一万年前に起きた富士山の大噴火は三島溶岩と呼ばれるマグマを迸らせ伊豆半島の根本を分厚い岩盤で覆ってしまった。

 

 粘り気のあるマグマは冷たい外気に触れながらしだいに硬くなり徐々に進行速度が鈍る。

 ところが内部は熱く柔らかいままなので後から押し寄せるマグマに押されて膨張を始め、やがて圧力に負けた外側の殻が裂けてマグマが吹きだす。

 ちょうど、お正月の餅を七輪で焼いたときと同じ現象が起きる。この割狐塚はそのようにして出来たという。

 岩の避けた場所に鳥居が立ち並びそれぞれの参道になったのがこの割狐塚稲荷神社である。

 主祭神は宇迦之御魂神(ウガジン)、いわゆる人面の蛇で須佐之男命の子供。

 創立年は不詳だが、表札にもあるように戦国時代末期の寛永元年に豊穣を祈って、この場所に勧請されて来たようだ。

 ただ、じゃあそれ以前は何も無かったかというとたぶんそうではない。この地方は古代より出雲族と縁のある加茂一族のお膝元だし、現に数百メートル南には古墳も存在するため古代からそれなりの規模の集落があった事が予想できるからだ。

 

 神道が成立したのが奈良時代後半から平安時代だと仮定して、それ以前は大きな磐や川の淵などの自然物に神々が降りると信仰されていた。

 集落の水源であろう川と街道に面した場所にあるひび割れたドーム状の奇岩に気づかないわけ無いし、戦国時代になるまで素通りしていたとは考えにくい。

 

 

 そこで考えられるのは他二柱の神である大田命と大宮姫命の関わり。

 この神社では大田命を猿田彦命(サルタヒコ)、大宮姫命を天之鈿女命(アメノウズメ)としており、サルタヒコは神話の中で神々の道案内をしたことから船旅の神とされ伊豆半島ではよく道祖神になっている。アメノウズメは太陽の神様が引き籠もりになってしまった際に、太陽の神様に外に出てきてもらおうと神々が催したフェスティバルの中でベリーダンスを踊って場が大いに盛り上がり太陽を誘き出すことに成功したため、芸能の神様と言われる。

 またアメノウズメはサルタヒコとは夫婦である。航海(コンパス)の神様と冬至の神様の夫婦神がここに祀られていたとすれば、古代においてこの割狐塚は信仰上わりと重要だったかも知れない。

 なお割狐塚の上にある高さ3〜5メートルの割狐岩には老狐が住み着き夜になると裂け目から飛び出してきたという。

 

 

伊勢崎市内 飯玉神社

 伊勢崎市周辺にはとにかく海の神を境内に祀った神社が多い。 

 

 ネット情報というあやふやなモノを信じるならこの地方に点在する飯玉神社は、藤原秀郷の子孫である那波氏の氏神で、食にまつわる保食神を祀っているという。

 確かに飯玉なんて聞いたら天津飯をイメージしてしまう。

 

 そういった境内にまで大黒天や恵比寿様といった海の神が祀られているのもこの地方。

 実際エビス人というのが先史時代に存在してヨーロッパではフェニキア人、中東ではカナン人と呼ばれ、伝承では「遥か東の方からやってきた人々」と言われているらしい。

 エビス人は旧約聖書出エジプト記において蛇神を祀るシナイ山の神殿の一番内側でヤギの肉とともに小麦を練った物も焼いて神前に捧げていて、因みにそれはモッチーと呼ばれた。

 後にそれが米で作られるようになって餅になったという学者もいるがいずれにせよ、そういった儀式は今の神社に引き継がれている。

 

 

 

 縄文人の一部であるエビス人は、稲作が可能な地域では米を、そうでない地域では小麦を、最悪芋類や他の救荒植物を、といった具合に農業にも精通していた。

 

 さらに彼らの王スクナビコナは風族とも関係があった。

 風族は狼を飼いならし交配させながら柴犬を作った。

 風族は縄文時代の発音でエン族、エノ族というらしくこれがイヌの語源になったという説がある。

 縄文時代には様々な民族がいて風族と行動をともにしていた民族の一つに鳥族というのもいる。

 鳥族と書いてア族、アメ族という。

鳥族はトーテムとして鳥をかたどったトリリスという門を集落に建てたし、外洋に出る船の舳先につけられるように再デザインしたのが鳥居という説がある。

 これをつけていると海鳥が休憩するためにとまってくるのだ。海鳥が飛び去った先に陸がある、という仕組み。「天」という漢字のルーツは鳥居であり、鳥族のトーテムを図案化したものであるから鳥族の事を天族ともいう。

 

 ”こっちの世界“では、1万年以上前には全部揃っていた。金細工、鉄製品や青銅製品の加工も含めて全部。

 鹿のトーテムを持つサカ族が修行の場にしていた足柄峠から出土した弥生時代のハニワに至っては、ライフルやガンベルトを装備し、プロテスタントそっくりな帽子を被っていたぐらいだからな。

 

 

 

 ひとまず、この神社そのものの由緒はわからないけれど、根底では海や船に関係がありそうな気はする。

 

伊勢崎市 龍宮神社

 源(みなもと)というのは氵に原と書く。みなもとは水の元だから、川が人の営みをサポートしてくれる尊い存在だということがわかる。

 生活用水や農業用水はもとより、船を浮かべれば漁業も出来るし運搬なども出来る。

 川は都市と都市をつなぎ、やがて海へと合流して海は港と港を繋ぎながら世界中が商業ネットワークで結ばれてゆく。

 

 

 

 複数のオートバイによるシフトチェンジが甲高く響き渡る夕方の散歩道。

 最終レースの音を背に広瀬川の土手の上を風に押されながら歩いてゆく。

 小さい子を連れたおばあちゃんが東屋で休んでいた。土手の上の歩道の横がちょっとした公園のようになっておりトイレもあった。

 群馬県は1月のこの時期えげつない圧の風が吹いていて、それがまたキンキンに冷えて乾燥していたから厚手のズボンを貫通してきてスウスウする。例え尿意を催さなくても風防のある場所で休みたかった。

 ”竜宮公園“ の名前の通り公園の近くには河川敷へ降りる為の立派な階段があって矢印で神社の参道である事が示されている。

 違和感があるのは堤防を川の方へ降りてゆくから。堤防の中、川のすぐそば。

 上流には荒砥川が合流していて大雨が来たら押し流されてしまうのでは無かろうか?

 階段下に赤い鳥居と木々の茂みが見えるがまるで小さな島のようだった。

 大きくはないが立派な佇まいだ。

 

 広瀬川の流域には水にちなんだ神社が点在しているけれど海の神社があるのはどういう事だろうか?

 竜宮、というぐらいだから浦島太郎伝説の原型になったのか? と思いきや、そもそも日本全国に由緒の異なる竜宮があるのでそれも違うかも知れない。

 

 こちらの由緒書きには創建が履中天皇の時代まで遡り、この岩山自体は天地開闢の時代にはあったとしている。

 履中天皇の時代は西暦で言えば300年代で、いわゆる埴輪と古墳の時代である。

 登場人物である高野辺大将家成は、とても高貴な身分であったが失脚してこの地に就任し、この地で結婚し息子と三人の娘に恵まれた。

 

 これらは山岳信仰にゆかりのある吟遊詩人達によって歌として広められた中世神話というジャンルであると思われる。

 書かれた歴史書というものは政治的な都合で焚書されたり内容を歪められたりするのが世の常。

 それを防ぎつつ粛清されないよう立ち廻りながら人々に歴史の真実を伝える手段が歌だったりする。

 例えば高野辺大将家成が海の神である多加王(タカオウ)つまりスサノオの事だとしたら三人の姫は宗像三女神という事になる。宗像三女神は一説には人魚若しくは爬虫類のような姿だったと言われる。

 「竜」の原型となった象形文字は下半身が蛇か魚の人間に見えるけれど実は、創造神であるヤーエ(八重)は蛇の神様であって、旧約聖書の中にも神は人を自分の姿に似せてお造りになったと明確に記されている。

 「わたしたちの像(かたち)に、わたしたちと似たさまに人を造り……」創世記1章26節

 

 この神社の由緒書きの冒頭に天地開闢の頃からこの岩山はあった、とあるがもしかして群馬県の殆どがまだ浅い海だった時代の岩山の一つでは無かろうか。昔はもっと大きくて島みたいになっていたかもしれないし、なんならこういった住居跡が赤城山を中心に幾つもあったのではあるまいか?

 

 人魚(竜人)は世界をまたにかけたエブス人と深い関係があるという。日本神話の蛭子命は別名エビスだ。

 人類のプロトタイプである人魚たちは海が干上がった後も第2世代以降の人類と協力しながら、時に愛し合い交配しつつ高度な文明を築き上げて来たのでは無かろうか?

 群馬人に美女が多いのは人魚(竜人)の血が濃いからでは無いのか?

 そう思って御神体の洞穴を覗き込んで見たら猫の小便臭かった。

 ……果たしてこんな狭いところに人魚や竜人が住んでいたのだろうか? 私は不安になってきた。

 人魚ってこんなに小柄なのか? と。

 

 ただ、これとよく似たものが静岡県内の海辺に遺跡としてあって、中から「須恵器」が発見された事で現在のところ古墳に分類されている。

 人が屈まないと入れないその洞穴たちを横穴群という。

 

 

 

 

 

扶桑樹の生えた地で

 これが群馬だ!

 体が吹き飛ばされそうな強烈な風圧、厚着をしてるはずなのに全身が霜焼けになってゆく圧倒的な冷気。

 いま私は風の都たる群馬県を全身で感じている!

 

 

 

 関東五県にまたがり人々の生活や産業を支え、時に大氾濫を起こす利根川は、関東の水甕の二つ名がある。

 流域にはたくさんの神社や古墳が点在し、街と街を結ぶ瀬の広い利根川は古代から近代にかけて船を使っての重要な交通路でもあった。その広い川幅の分だけ橋が長くなり突風も荒れ狂う故にアクリル製のフェンスが無ければ、煽られて落ちる人もいるのだろう。

 橋の下にはこの地方を語る上で重要っぽい大きな神社が見えているのだが大回りして、そこにゆくだけの体力はもうない。顔は青ざめ既に低体温症になっているためだ。

 

 空にはエキノコックスを思わせる節付きの雲が伸びていて、その根本の小さな雪山がこの凍えるような風の元凶らしかった。

 方角から見てあれが浅間山なのだろう。

刺すように冷たい風は、大橋から降りても変わらず圧力で身体が前に進まない。道に迷っているのも相まって遭難している気持ちになる。

 どうにか本線を下り、ガード下をくぐれば困った時の図書館だ。庭には壊れた古墳があった。

 

 群馬県は日本屈指の埴輪王国で、発掘された埴輪は着色され様々な民族衣装を身に纏っているという。

 ユダヤ人や中国人、南洋の部族らしき格好をしたものや人ならざるモノ……。

 

 埴輪の多様性には驚くばかりだ。

 

 

都合の良すぎる植物

 かつて地球には銀河の反対側からやってきた人々がいたという。

 太古の地球はシダ植物ばかり繁茂していて、彼ら文明人がそのままお召し上がりになれそうな植物が無かったという。だからこそ遺伝子操作で新種を創って地上へばらまいたに違いない。

 春になるとやってくるのが花粉症。

 涙とくしゃみが止まらないのは自然界の鼓動に敏感なシャーマンの家系であることと無関係ではあるまい。

 つくしが終わり、強烈なヒノキ花粉が溢れ出す4月中旬は、小さくて柔らかなタンポポの第一期生が咲き乱れる。

 花も茎も葉っぱもほぼアク抜き無しで調理できて根っこは乾燥させてコーヒーに出来るタンポポは栄養も満点。

 花の部分の苦みは加熱する事で旨味へと変化し、まるで高級なほうれん草のような味わいになる。

 柔らかいのと捨てるところがないのとで、包丁を使わず調理できるすぐれもの。

 唯一の難点はアリやテントウムシ、ナメクジ、アブラムシなどあらゆる小動物がくっついて来ることで、最低二回は水に浸してそれらを除去しなければイケナイところ。

 

 

 元自衛官が言っていた。

 「やたら虫が寄ってくる野草は美味いぞ?嘘だと思ったら食べてみろ」

 

 今回はタンポポの花と茎を使って中華炒めにしてみた。

 材料は98円の輪切り唐辛子とごま油、塩とタンポポ、以上。

 

 最初に水に浸しておいたタンポポを軽く洗い(虫やゴミがついてる事がある)、軽く湯通しするのもあり、熱したアツアツのフライパンにごま油を馴染ませ、タンポポを一掴みずつ投入する。

 炒めながら輪切り唐辛子と塩を適量投入し、しっかり火を通す。とくに花の部分が生だと美味しくならないので意識して火を通そう。

 全体が茶色っぽくなったら盛り付けて完成。

 個人的にはこれが絶品です。

バリエーションで卵とじにしたあとご飯の上に掛けて丼モノにしてもOK。

 

 こんなに美味しくても原価は0円。しかもどこにでも生えていて乱獲しても無限にでてくるこの灰汁のない植物は、有史以来の理想的な野菜であり、どう考えても人の手が加えられているとしか思えない。