🎼神々の宿る世界樹 Ψ機神(おに)たちのユグドラシルΨ

東海方面を中心とした遺跡や小さい神社などを探訪するブログです。

伊勢崎市 龍宮神社

 源(みなもと)というのは氵に原と書く。みなもとは水の元だから、川が人の営みをサポートしてくれる尊い存在だということがわかる。

 生活用水や農業用水はもとより、船を浮かべれば漁業も出来るし運搬なども出来る。

 川は都市と都市をつなぎ、やがて海へと合流して海は港と港を繋ぎながら世界中が商業ネットワークで結ばれてゆく。

 

 

 

 複数のオートバイによるシフトチェンジが甲高く響き渡る夕方の散歩道。

 最終レースの音を背に広瀬川の土手の上を風に押されながら歩いてゆく。

 小さい子を連れたおばあちゃんが東屋で休んでいた。土手の上の歩道の横がちょっとした公園のようになっておりトイレもあった。

 群馬県は1月のこの時期えげつない圧の風が吹いていて、それがまたキンキンに冷えて乾燥していたから厚手のズボンを貫通してきてスウスウする。例え尿意を催さなくても風防のある場所で休みたかった。

 ”竜宮公園“ の名前の通り公園の近くには河川敷へ降りる為の立派な階段があって矢印で神社の参道である事が示されている。

 違和感があるのは堤防を川の方へ降りてゆくから。堤防の中、川のすぐそば。

 上流には荒砥川が合流していて大雨が来たら押し流されてしまうのでは無かろうか?

 階段下に赤い鳥居と木々の茂みが見えるがまるで小さな島のようだった。

 大きくはないが立派な佇まいだ。

 

 広瀬川の流域には水にちなんだ神社が点在しているけれど海の神社があるのはどういう事だろうか?

 竜宮、というぐらいだから浦島太郎伝説の原型になったのか? と思いきや、そもそも日本全国に由緒の異なる竜宮があるのでそれも違うかも知れない。

 

 こちらの由緒書きには創建が履中天皇の時代まで遡り、この岩山自体は天地開闢の時代にはあったとしている。

 履中天皇の時代は西暦で言えば300年代で、いわゆる埴輪と古墳の時代である。

 登場人物である高野辺大将家成は、とても高貴な身分であったが失脚してこの地に就任し、この地で結婚し息子と三人の娘に恵まれた。

 

 これらは山岳信仰にゆかりのある吟遊詩人達によって歌として広められた中世神話というジャンルであると思われる。

 書かれた歴史書というものは政治的な都合で焚書されたり内容を歪められたりするのが世の常。

 それを防ぎつつ粛清されないよう立ち廻りながら人々に歴史の真実を伝える手段が歌だったりする。

 例えば高野辺大将家成が海の神である多加王(タカオウ)つまりスサノオの事だとしたら三人の姫は宗像三女神という事になる。宗像三女神は一説には人魚若しくは爬虫類のような姿だったと言われる。

 「竜」の原型となった象形文字は下半身が蛇か魚の人間に見えるけれど実は、創造神であるヤーエ(八重)は蛇の神様であって、旧約聖書の中にも神は人を自分の姿に似せてお造りになったと明確に記されている。

 「わたしたちの像(かたち)に、わたしたちと似たさまに人を造り……」創世記1章26節

 

 この神社の由緒書きの冒頭に天地開闢の頃からこの岩山はあった、とあるがもしかして群馬県の殆どがまだ浅い海だった時代の岩山の一つでは無かろうか。昔はもっと大きくて島みたいになっていたかもしれないし、なんならこういった住居跡が赤城山を中心に幾つもあったのではあるまいか?

 

 人魚(竜人)は世界をまたにかけたエブス人と深い関係があるという。日本神話の蛭子命は別名エビスだ。

 人類のプロトタイプである人魚たちは海が干上がった後も第2世代以降の人類と協力しながら、時に愛し合い交配しつつ高度な文明を築き上げて来たのでは無かろうか?

 群馬人に美女が多いのは人魚(竜人)の血が濃いからでは無いのか?

 そう思って御神体の洞穴を覗き込んで見たら猫の小便臭かった。

 ……果たしてこんな狭いところに人魚や竜人が住んでいたのだろうか? 私は不安になってきた。

 人魚ってこんなに小柄なのか? と。

 

 ただ、これとよく似たものが静岡県内の海辺に遺跡としてあって、中から「須恵器」が発見された事で現在のところ古墳に分類されている。

 人が屈まないと入れないその洞穴たちを横穴群という。