🎼神々の宿る世界樹 Ψ機神(おに)たちのユグドラシルΨ

東海方面を中心とした遺跡や小さい神社などを探訪するブログです。

沼津アルプスの香貫山「山際の川」

 縄文時代の謎を解きたければ、縄文人と同じように山登りして山の神々に感謝するのが一番の近道。
 

 


 登山難易度が低い山の条件は頂上が明確な独立峰で周りが文明に囲まれていること、頂上までの道路が整備されていること。
 以上の条件を満たした上でヘリコプターが降りられるような広場があったら理想的ですね。
 それらのすべてを満たしてくれそうなのが沼津市にある香貫山(かぬきやま)

 本日の私の装備

・ナップサック(通勤用)・サンドイッチとコーヒー ・傘 ・薄い手袋 ・安全靴(短靴) ・レインコートにもなる上着 ・半径1kmしか届かない安い無線機。(よく考えたらスマホのが使える)


天候は予報では1日晴れ。但し50%の確率で雨が降るらしく雲が出てます。

 行き交う沢山のクルマ、立ち並ぶ飲食店にオフィスビル……とても登山道があるような雰囲気ではありませんが、建物と建物の間に突き出たコンクリートの角に階段と林が見えます。

 登山道入口のお地蔵様は、塞の神と関係があるかも知れません。山との境界を示しているものと思われますが本当のところは解りません。


岩壁が柱状摂理っぽくなってるからやはり溶岩が固まって出来たものなんですね。
 コンクリートの階段はすぐにコンクリートの細い舗装路に変わり、やがて落ち葉に埋もれた岩で出来た道が延々と続く事になります。

 5分も登ると城趾の切り通しのような分岐路が現れた。地図を信じるならば右ルートで一度登山用に整備された車道にでるですからそちらへ向かいました。

 岩の足場は完全に落ち葉で埋まり、フカフカした低反発な林道を進んでゆきます。
 だんだん身体が暖まってきました。


 思った通り車道に出ましたがそこで奇妙な道祖神たちを見つけました。
 なにかの新興宗教なのか2つの地蔵の他に東南アジアの神像みたいなのがあったりペットボトルがいくつか置いてあったりなかなかカオスです。もう道祖神が祝福されているのか連れ込まれてリンチされているのかわかりません。


 さらにその付近には不思議な形の石が埋め込まれており、シルバーのカラースプレーのようなもので着色されていました。
 獅子岩や亀石などに似た形をしておりますがいつ頃からここにあるのか定かではありません。
 その上に丘があり登って行くと売店のある公園に出ました。

 公園には駐車場があって、幾らかのベンチもあります。
 供養塔なのか、立派な五重塔がありますがこの辺りは日蓮宗の管轄だと思われます。
 日蓮宗というのは伊豆半島で最もメジャーな仏教団体で物部氏の広めた法華経を信仰しています。


 
 法華経自体はかなり模範的なブッダの教えですが、それをどのように解釈するべきか? について日蓮は言及していませんでした。日蓮自体は御嶽の系譜の修験者だった為に一から十までドグマを教えてもらうのでは無く自分で考えろ、自分で学び感じろ!というのが根底にあったように見受けられます。
 その結果、無数の教派に分かれひたすら念仏を唱え仏に神頼みする宗教になりました。
 これが良かったのかどうなのか私には判断がつきません。


 公園を過ぎると下り勾配の道路に出ました。
途中に廃墟があって、そこを根城にしているのか坂道のあちこちで猫を見かけます。

 全体的に陰鬱なオーラが漂う山です。
 


 日陰の道が続き真冬の気温が体温を奪ってゆきます。
 私がここへ来た目的は登山でも五重塔見学でもなく、古代遺跡の確認にあります。
 実はこの山には住居跡を改造した飛鳥時代からの古墳があるようなのです。
 それは恐らく、沼津市を代表する2つの式内社
【楊原神社】と【大朝神社】と関係があるものであると思うのです。それぞれ由緒が消されてしまっておりますが楊原神社には山の神でありながら海の神である大山祇命が祀られ、大朝神社の境内からは海洋民族フェニキア人のストーンサークルがありました。



 霊山横穴群は土器の他に人骨が発見されたことで有識者たちは古墳時代後期の共同墓地であるという見解を示しており現在、横穴の一部は再利用され不動明王像が安置されております。
 共同墓地の一部として。


 ところでこの香貫山には変わった伝承がありまして、
登山口のあった山の北側、そこには狩野川という大きな川があるのですが、川にまだ堤防が無かった大昔は水量も多くちょうど山の際が河原になっていて、そこにはさも当然のように“河童たち“が住んでいたそうです。
 では?その河童たちの家はどこでしょう?
 私はこの山の横穴群が実は河童さんのおうちだと考えていて川の際のこの遺跡をこう名付けました。

 【かっぱとキワ遺跡】