🎼神々の宿る世界樹 ~機神(おに)たちのユグドラシル~Ψ

神仏を敬い鬼神を祀る機神教団の色々アウトな地下迷宮です。尚、オフィシャルサイトでは御座いませんので神社仏閣の擬Zi化につきましてはタカラトミー様ならびに神社仏閣関係者様からの苦情がありしだい画像を消去いたします。

茨城県 鹿嶋神宮

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フィールド 鹿島市鹿島神宮

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 江戸時代には正月になると鹿島の大神の神託を告げ歩く『鹿島の事触れ』の活動がありました。これはダンスを伴っており『鹿島踊り』と言われていて今日でも伊豆半島東岸を中心にこの踊りは伝えられており、果ては京都の祇園踊りの中にも『鹿島踊り』の演目があるほどです。
 そもそもカシマという地名は元々、富士山麓にあったのと茨城県の語源は伊豆国市にあった鬼の里の一つである原木(バラキ)から太古の昔に出発した月の一族(建速須佐男命系)に由来すること、さらには静岡県内の香久山にいたカグツチが子孫が鹿島神宮の御祭神であるであることから元々因縁浅からぬ仲であることが伺える。
 民俗学者である柳田国男が『日本の国で弥勒の船が来るところは鹿島と八重山(沖縄にある事代主の事跡)』と発言している。
 事代主神縄文時代に実在したアビス(レビスとも)という海竜の王様で、黒潮ルートから謎の大型船にてインドやニライカナイ(幻の大陸跡?)、南アメリカなどと交易を行っていたという。

 成田線佐原駅の0番ホームから鹿島線に乗り換えて駅をでると住宅や公園の間に綺麗な参道が整備されている。
因みに東京方面からは東関東自動車道を利用して一時間ほど、下総の台地を抜けると視界がひらけ、利根川を渡ると茨城県潮来のインターで降りほどなく鹿嶋に着きます。
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赤い道を進むと左側にあるのは竜神を祀っている神社。
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竜は水の神様と呼ばれることもあるため火伏せの神様とされています。
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この辺も鹿島の神の領域なんですね。
挨拶して行きます。

~ 🗻 ~ 👺 M A P 👺 ~ 🗻 ~
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~ 👺 ~ 🗻 ~ 👺 ~ 🗻 ~ 👺 ~

 創建は神武天皇の東征の時とされているが詳しいことはわからない。何故なら常陸の国は2万年から3万年も続いた縄文時代からあった訳なので、どう考えてもヤマト独立戦争神武天皇は後発なのである。国譲り神話はヤマト王朝建国時代に創られたものと思われるので、武甕槌神茨城県のトーテム)と経津主神(千葉県のトーテム)をヤマト王朝が自分達の神として祀り直し土地の統治権を奪う為に後から創作された話であると取れるからだ。


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それはそうと、こちらの鳥居は本来コンクリート製でしたが東日本大震災の際に倒壊して粉々になりました。5月31日の総代会において大鳥居の再建について協議した結果、鹿島鳥居本来の木造にすることに決定。
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鹿島神宮の境内には杉の巨木が沢山ありますが、境内は国の史跡、県の天然記念物になっており、伐採は難しいと思われましたが

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そこで建設会社を通して全国の材木を調べましたが倒壊した鳥居と同じサイズの樹は国内では調達出来ないことが判明。
茨城県当局により災害復旧の指定を受ける上限の一つに「同じ規模で復旧する」という項目があり、コンクリート製、鉄製も検討された。
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ところが1200年前に書かれた「三代実録」という書物に鹿島神宮について次のような記述が確認される。
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「20年毎に社殿を造るのに用いる材は、200里あまり離れた那珂郡の山から持ってきますが、それは大変なので神宮の近くに栗5700株、杉40000株を植えました。この植林を続けて用材としなさい」
これは日本の材木用植林としては初めての記録で、鹿島神宮の森の木が営繕の為に植えられた事が示唆されており、文化庁や県庁に説明すると「適材があれば利用してよい」という回答を得ることが出来、樹齢300年~600年の6本の杉を選び山形県酒田市にて加工、平成26年6月1日の御船祭に間に合わせる形で完成となる。
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遠くにある楼門を潜る前に手前にある末社の塊。
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熊野神社のような全国的に有名な物から聞いたことがない神社まで様々。
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本当は一つ一つ丁寧に挨拶して、由緒を確認しなければならなかったのですが、知識があまりに乏しかったのと、当時あまり時間が無かった為に
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 因みにこちらは一番奥が社のない遥拝所となっており、原生林そのものを神々の世界として拝む形式となっております。
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二人の武人人形が守る楼門。まるで砦のよう。

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潜れば広場に出る。左手に社務所、右手に如何にも本殿、といった感じの建物が見える。

全く関係ないですが本日、とあるスーパーで意味不明な怒鳴り声を上げているオッサンを観たときにリーマンショックを思い出した。あの頃も会社を潰した工場の経営者みたいなのが昼間から酒飲んで暴れていた記憶が・・・・。

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向かって右手にあった立派な神社。
ここに「鹿島の神」とやらが祀られているのか?
と思うぐらい荘厳だが、名称からして豊受の神・・・食物の神様でしょうか・・・?
(肝心なところを撮してない)

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その神社の前には不思議なモニュメントがあり、これは恐らく、香取神宮と合同で行う御船祭の際に船につける飾り。
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その斜めにあるのはタケミカヅチと共に旅をしたとされる聞いたこともない神様が祀られた神社。
図書館とかで調べれば解るのかも知れませんがこの時の調査能力は低かった・・・・以前に、とりあえず大きな神社にいっときゃなんとかなる❗という安直なノリだったので
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勘弁しておくれ。

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茨城県の果てにこんな場所があるなんて思わなかった。とにかく広い。神様がいる場所にありがちな「テレビに残った静電気」のような感覚がしますが

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もしかしたら、それは茨城県名物の雷のせいなのかも知れない。
みんな、茨城県の名物ってね?落雷なんだよ?
小学生の頃「ライさま」って呼んでた。


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何か変なものがあります。

→調べる
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さざれ石。
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君が代は千代に八千代にさざれいしの

の、さざれ石です。漢字で細石

これは何かと言うと・・・・



さざれ石は、もともと小さな石の意味であるが、長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウム(CaCO3)や水酸化鉄が埋めることによって、1つの大きな岩の塊に変化した「石灰質角礫岩」を、日本の国歌である「君が代」の歌詞にある巌(いわお)であるとして、この岩を指してさざれ石と呼ぶことも少なくない Wikipedia

だそうです。

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その奥には鹿が沢山おります。実は鹿島神宮は古代には既に香島(カシマ)の神として有名で香取神宮とともに藤原氏(中臣氏)によって祀られていたそうです。ところが奈良の都から往復するとなると並みの苦労ではないので、色々考えた末に鹿島神宮の神使である鹿の背に御分霊を乗せて奈良の三笠山に祀った。これが春日大社のルーツだそうです。
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手前に牡鹿がいて後ろに雌鹿が沢山。
回り込むと牡鹿は此方の方を向き、雌鹿は後ろにゆく。うらやまけしからんハーレム状態。

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更に奥へ進むと右手に小さな社があります。
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この時、これが藤原氏の祖神だとは思いませんでした。さわりだけ

天児屋根命は藤原鎌子の祖神であり、天照大神が天岩戸に引きこもってしまった際に祝詞を唱えていた
お経の神さま。伊豆の神話とかを組み合わせるなら彼は事代主命の血縁者でニニギ命に宮仕えしておりある日、月の一族であるコノハナサクヤ姫をスカウトした男です。後にコノハナサクヤ姫と姉のイワナガ姫の家庭教師を勤めたり文字を開発したりと色々な実績を残した。 インドのとある名門出身の人物。

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そして何事も無かったかのように最深部へ向かいます。





続く。