🎼オーディン出発。
SPEC・・・・・・<名前>ヤナギハラ神社 Ψ主祭神 大山祇命、加茂沢媛命、木花開耶姫命 🔷例祭 1月17日 10月14日(吉田神社)
《発掘地域》 〒410-0822 静岡県沼津市下香貫宮脇335・・・・・沼津市、下香貫にあり祭神はオオヤマヅミ他2柱。御神体として幸せそうな顔をした3体の神像あり。平安時代に書かれた「延喜式」に田方郡楊原神社とある。元は同市楊原にあったが、永禄年間(1556~1570)に兵火に遇い現在地に再興したと伝える。古くは明神大社で境内域も3倍あったという。
~ 🐚 ~ ⚓ 楊原 ⚓ ~ 🐚 ~
楊原は沼津市中心部をなす1地区の旧村名。1889年に上香貫、下香貫、善太夫新田、我入道の4つの村が合併して村制施行。1923年、沼津町と合併して沼津市となる。狩野川の南、香貫山の西側の砂州デルタ、自然堤防からなる地域で我入道海岸に牛臥山がある。
温暖な気候なので野菜の早期栽培や桃の生産は有名であった。1892年に沼津御用邸が島郷に造営され、下田市須崎に移転後は記念公園になっている。沼津市街地化の進んだ地域。
∽ 🗻 ∽ 超☯️古代世紀 Z ∽ 🗻 ∽
ある日、西国から急ぎ馳せ上ってきた豊玉毘古命が西の大陸から大軍が附地見島(九州の辺り)に侵攻してきたと知らせる。これを聞いた神皇・瓊瓊杵尊は全国に救援の檄を飛ばし自らも笠砂ノ宮(小室浅間神社)を出発し神后・木花開耶姫とともに附地見島(九州)へ向かうが、謎の軍勢は対馬、壱岐で戦っていた事代主命の第一王子天手長男命らの討死を皮切りに、召集された神々の将兵を次々と撃破しながらすでに四国へ上陸しており、木花開耶媛はそこで1万8千神を率いて苦しい防戦に当たる。
一方、西へ向かった友軍の潰走と娘の危機を知った父王・大山祇命は妃の加茂沢毘女命とともに自ら兵を率いて進軍を開始するが、妃は伊豆まで来てその三島で病死してしまう。
大山祇命は悲しみに暮れながらも沼津の水軍拠点へ到達❗
船団は西の国へと出撃して行った。
果たして救援は間に合うのか?!
(「日本の神朝時代」より)
☯️エンシェント・タイプ☯️
・楊原神社 ・吉田神社 ・八幡神社
・少彦名神社 ・津島神社 ☆大朝神社(共鳴)
⚠️このゾイドは以上の要素から成り立っています。
・・・・・統合整備計画。
・・・・そろそろ当神殿もそういうのやらなきゃダメかなあ。と思い始めた今日この頃。
バイト先に近い神社・・・
遺跡と関係がありつつ、街中で
労せず成果が得られ、由緒もネットに載ってる可能性がある、お手軽な神社。
沼津市の「楊原神社」
JR沼津駅を南口で降りて沼津図書館前の通り、国道414号線を海に向かって歩いて行きます。
裁判所を通りすぎて更に南下。( ´・∀・`)
すると、
だんだん開けて来ましたね。( ´・∀・`)
ありゃ?とりあえず地図を見ると「香貫山」の裾野にある神社って佇まいなんてすが・・・▲
うーん。でもこの辺で曲がるのかなあ。あ、因みに香貫山に確か幾つかの古墳がありますね。
何が言いたいかと言うと、今回の楊原神社は、実は噂によれば紀元前に水軍基地があった場所らしいんです。
九州に上陸した謎の軍団により味方が危機に陥っていると聞いたある伝説の王は、老体にむち打ち自ら援軍を率いてこの水軍基地へ移動しそこから船団を率いて九州へ向けて出撃していったという。
(・・・・・あれ、道を間違えた)
街中のアドベンチャーは、正直山より厄介かも。
インフラが整っているという意味では安全地帯ですが、同じところをグルグルと堂々巡りさせられる危険をもはらんでますのでイライラ感はありますね。
反対車線にカワサキショップが・・・・。こんな田舎にもあるのが驚き。
どうやらここを左へ入って香貫山方向へ向かうのが正解みたいですね。(^^)d
では、行ってみましょ。
まあ、改めてですけど、山登りせず崖もなく、害獣や害虫に脅かされることのない街中の神社って
サイコーですね?d=(^o^)=b
冒険ついでにショッピングまで出来るってヤバいでしょw水も食料も持って歩かなくても良いし、安全靴を履かなくても余裕で行けるなんて埼玉県の氷川神社以来。( ´・∀・`)
で、この右手にあるリカーショップのガリバーさんの所を入って行くと・・・・・
このように変わった柵の公園が見えてまいります。
・・・・皆さん。この柵、不自然だと思いませんか?
少し柵にそって歩いてみましょう。
突き当たりのT字路を・・・・左に入れば正解⭕なんでしょう。
でもね?ひねくれものな私は敢えて右へ行くのだよ?ヾ(゚д゚)ノ
道を挟んで向こう側に神社があります。こういうのは、境外社で所縁のある神社である可能性が高いので先にあれして起きましょうか。
ガリバー手前の信号の所ですね。
・・・・と、いうか楊原神社へクルマで行くならそこを曲がれば楽ですかね。
「淡島神社」・・・と書いてありますから、市内にあるマリンパークから来ているのでしょう。
綺麗ですね。では参拝します。
淡島は沼津市が誇る古代のピラミッドです。
気になる方は沼津駅前から出ている
「ラブライブ・サンシャイン」のラッピングバスに乗り、「マリンパーク行きのチケット下さい❗」
と申請しましょう🎵
稲荷社ってなんで必ずあるんだろう?
さあ、元の道へ戻り遺跡の探索に行きましょう!
駐車場を見つけました!・・・・・が、残念ながら関係者専用のようです。(^_^;)
楊原神社に到着・・・・駐車場ねーな。
式内社って書いてありますから、平安時代には既にこの場所にあったということです。
では、古代海軍の要塞跡に建立されたと噂される楊原神社に参拝しまーす🎵(^3^)/
・・・・駐車場はあるっぽいです。多分普段はポールが下げてあって、テキトーに停めて下さいってニュアンスなんだと思います。
まあまあ広い境内。鳥居を潜ってすぐ左に・・・・
摂社か末社があります。詳しいことはわかりませんがご挨拶して行きます。
御神木でしょうか?・・・・なんだかオバケですね。
(^_^;)
九州方面軍壊滅の報を受けた伝説の王(天狗族)は王妃を伴い自ら進軍し、三島経由でこの地に来たらしいです。
その道中、王妃(賀茂族の女性)は病に倒れそのまま帰らぬ人へ。そのまま「三島大社」に弔われた。
この神社では毎年6月に裸の男たちが海に飛び込む祭りがあるらしく、おそらく大山祇命が出征していった伝説と関係があるのでしょう。
因みに祭りは姉妹神のいる牛臥山の大朝神社と合同で行われます。(間違っていたらスミマセン)
はいアミーゴ申請して終了❗
次行って見よー🎵
すぐ隣に摂社と書かれた立派な神社が。
例によって謎の祠もそばに↓
何が祭られているのやら・・・・ただ、何か重要なものなのでしょう。この地の有力者の氏神とか。
鳥居で一礼して参拝しまーす。
・・・さあ古代遺跡はどこだ?
流行り病から村を守りたいという思いから江戸時代に創建された重要な神社のようです。(誤解を恐れずに言えば御殿場の疱瘡神社に似てますね。)
香貫山にあったこちらの神社は、地主神的なポジションでこちらに祭られているのでしょうか?
初対面ですし2礼2拍手1礼の紳士の挨拶をしましょう。
横にかつての社殿や鳥居、灯籠を砕いて撒いた感じのオブジェがあります。
これがまた呪術的で独特な雰囲気を醸し出しています。(^_^;)良く言えばエキゾチック
吉田神社の本殿・・・神が降臨する場所ですね。
↑で、ここから隣を見ると楊原神社の本殿も見えます。( ´・∀・`)
祭神の大山祇神が降臨するのかね。
吉田神社の境内にはこのように変な石(旧社殿の残骸?)が舗装でもするかのように撒いてあります。
(まあ、これが古代遺跡である可能性はゼロでしょうねえ。)
奥に小さな社が・・・・
稲荷神社なのか狐のフィギュアが詰まってます。
「仁科家」と読めますが、この佇まいは寄進ではなくて氏神様でしょうかね?
2礼2拍手1礼の紳士の挨拶をしておきます。
ウカノミタマの神が氏神ってあるんですかね?
(^_^;)
~ ○ ~ 🚢 ~ ○ ~ 🏖️ ~ ○
☯️その他☯️
社務所あります。
御守りや御札が入手できますが
おみくじは、受付に直接お金を手渡しなのでご注意下さい。本日無人だったので先ほど間違えて引きかけました。(*_*;
境内には平和の為の慰霊碑的なのもありまして・・・・・
その周りにこれまた不思議な石が埋め込まれています。こんな変な石、ちょっと他では見たことがないですw
これが・・・この変なお尻像が紀元前から伝わる遺跡なのだろうか?ヾ(゚д゚)ノ
まあ、神社から出土したものなんて、みーんな研究機関か博物館に持ってかれてるでしょうから、そもそも境内にあるわけ無いんですがね🎵
以上、沼津市にある楊原神社でした。古代遺跡的な意味で凄い由緒が隠されているんでしょうが立地条件としては街中ですし、水も食料もトレッキングシューズも必要の無い嬉しい仕様です。それから傾斜も無いのでオートバイでも安心です🎵・・・・・・難点を挙げるなら、広大な境内でありながら非常に地味なのと、トイレが物理的に壊れているので他所で済ませてから行かねばならないことぐらいでしょうか?
(周辺には古墳とゆかりのある寺院などがあって、なかなか面白い場所ではあります。)
ともあれ本日もミッションお疲れ様でした!
(*`・ω・)ゞ