🎼ヴァルハラ宮殿「王の間」
SPEC・・・・<名前>センゲン大社-オクミヤ- Ψ祭神 アサマ大神✖️木花開耶姫命 ∞富士山信仰 🔷祭り🔷 8月15日(御例祭) 《発掘地域》富士山頂上(〒418-0112 静岡県富士宮市宮町1−1)・・・・・・・正しくはアサマ大社という。「アサマ」はマレイ語であり、アサは煙、マは母を意味する。富士山本宮浅間大社を起点とした古くから伝統の登山道である表口(富士宮口)若しくは御殿場口から登り詰めたところの山頂に鎮座しており御神体は大内院と呼ばれる富士山の火口で、その底辺の八合目から神域となる。相殿の神として背の君天孫(ダーリン)瓊々杵尊、父神(パパ)大山祇神を祀る。
∽ 🗻 ∽ 超☯️古代世紀 Z ∽ 🗻 ∽
西方から上陸した謎の軍勢との戦争の最中、戦場でつわりを迎えたサクヤ姫に、夫である神皇ニニギは言い放った「それ、タイミング的に俺の子じゃないだろ?不倫するなんて最低だな。」
西方から押し寄せた軍勢との激闘は、父オオヤマツミ率いる増援が間に合い辛うじて勝利することが出来たものの神皇軍は多くの将兵を失っていた。そして、この戦いの間に母に続いて父をも失ってしまった失意のサクヤ姫にとって夫ニニギの冷酷な言葉は、どん底に突き落とすのに充分過ぎる破壊力だった。
何よりこの時代の価値観における「不倫」は、犯罪者と等しい重い言葉であり、およそ自分の伴侶に投げ掛けるものではない。
富士の麓の王国に帰還し臨月を迎えるころ、サクヤ姫は世間に対しお腹の子と自身の潔白を証明する為、無戸室にこもり火をかけ、そこで出産するという誓約(うけい)を行う。(誓約とは『そうならばこうなる、そうでないならば、こうなる』とあらかじめ宣言を行い、そのどちらが起こるかによって、吉凶、正邪、成否などを判断する占いの一種※Wikipedia。アタ族のサクヤ姫は神々の意思である炎にそれを委ねた。)
その結果、火が照るように燃えていた頃に産まれて来た子にホデリ(火照命、後の海幸彦)と名付け、火が盛んに燃え盛る中盤に産まれた子にホスセリ(火須勢理命、後の農幸彦)、そして火が消えかけた頃に産まれた子にホオリ(火遠理命、後の山幸彦)と名付け、焼け死ぬ事なく無事3人の子供を授かる事に成功した。
その後、『これで私の身の潔白は証明されたはず』と言い残し、天児屋根命や猿田彦の制止も聞かず、サクヤ姫は高秋峰(当時の富士山の火口。今より標高がうんと低かった)へ登っていった。そしてそのまま、意を決して火口に投身してしまう。
すると富士山は激しく燃え上がり火柱は天を焦がし黒煙は空を覆いつくして、四方八方に溶岩が流れ出したが、その溶岩には無数の猿がつき従い、溶岩の中央に光輝くサクヤ姫のようなものが見えた❗といって人々が騒ぎだした。
その溶岩の流れは東南方向・・・つまり母の賀茂沢姫の墳墓(三嶋大社)、それから西南方向、つまり父の大山祇の眠る大宮(富知神社→浅間大社)まで来るとピタリと止まってしまった。
後に「サクヤ姫は最後に父と母に会いに行ったのだ」と噂されたが・・・・・実はこれで終わりじゃ無かったんだ。
その後、何度も何度も富士山は大きな噴火を引き起こしその度に激しい溶岩が流れ出して、まるで神皇ニニギとの思い出を抹消するかのように富士の裾野にある王都を焼き付くし、火山灰が埋めつくして行った。何度も何度も・・・何世紀も富士の神アサマと融合した姫は破壊の限りを尽くし、こうして富士に栄えた王国は壊滅していった。最早サクヤ姫自身も夫への復讐心なのかアサマ神の荒魂なのかわからないまま、気づけば何世紀も暴走していた。
時は平安時代。西の朝廷は、度重なる富士山の噴火(富士王朝の負の遺産)をどうにかするべく、アテルイとの戦いから戻ってきた坂上田村麻呂に命じ、富士の神アサマの怒りを鎮め制御する為のプロジェクトを立ち上げる。毎回溶岩がストップする大山祇の塚のある大宮にヤマトタケルが建てた山宮の神社を遷して「浅間神社」の第一号(浅間大社)を完成させる。更に富士山の登山道を中心に次々と浅間神社を建造してアサマ神の怒りを慰めて行き、ついに富士山の噴火を止める事に成功した。ようやくサクヤ姫は自身の悲しみやアサマ神の怒りから解放されたのだ。
この西の朝廷こそは、サクヤ姫が産み落とした山幸彦の子孫が建てた大和国の系譜であった。
夫の王国を滅ぼし、息子たちの王国が西に起こり繁栄する・・・・・。もうこの時点でサクヤ姫の復讐は完了していた。
良かった良かっためでたしめでたし・・・・・・ってそんな訳はなく、1707年12月(江戸時代)に宝永噴火してえらいことになる。😅
・・・・尚、富士山の麓の硬い地面にはインダス文明、黄河文明由来の金銀財宝が眠っているとかそんな噂もある。
(日本の神朝時代より)
かつて登山家の登山家による登山家の為の楽園を建設していた奴らがいた。彼らは山を愛しトレッキングこそ神に近づく為の儀式だと考えて世界中の山々にその痕跡を残して来たという。
紀元前X万年・・・・・・遠い海から造船、建築技術、暗殺術や魔術を携え富士山へやって来たその登山家団体を我々日本人はこう呼ぶ。
「天狗さん」
はい、色々あってようやく富士山の八合目までやって参りました❗
富士山八合目は、浅間大社奥宮の御神体である火口が始まる辺りなのでこの先境内地となります。
Δ ー Δ ー Δ 富士山 Δ ー Δ ー Δ
Δ ー Δ ー Δ Δ ー Δ ー Δ Δ ー Δ
富士山は頂上までに幾つかのステーションが存在し、そこで八角杖に300円の焼き印を入れて貰ったり、食料や酸素ボンベ、行動食の予備や飲み物など、登山に必要なグッズを購入することが出来るのです❗
↑八合目の焼き印
因みに、水も食料もしこたま持ってきましたが、折角なので焼き印入れて貰うついでに何か買って行きましょ🎵そうだな・・・500mlのソルティーライチにしよう❗
おっちゃん!それ一本❗「あいよ❗全部で800円ね!ありがとう❗」
・・・・・・!? 800-300(焼印代)=500(ソルティ・ライチ)←マックスバリューで98円相当。
・・・・・富士山の物価は凡そ✖️5です❗(ヘリコプター輸送代かな)
想像以上にキツかった酸素の薄さも八合目に差し掛かった辺りから随分楽になってきた。多分気温が幾らか低いからだと思いますが呼吸が楽。
そういえば・・・・新七合目辺りから杖だけ持って雄叫びを上げながら軽やかに抜かしていった半裸の金髪外人は何処までいったんだろう?😅
ふと、思った。彼はいわばパンツいっちょでここまで走って来た。水も行動食も持たずにパンツいっちょで忍者のようにゴツゴツザラザラしたこの坂道をかけ上がっていった。
つまり、登山で一番大事なのはチマチマしたテクニックや装備ではなくハートなんだと改めてわかった❗
そうと解れば俺だって❗などと
かけ上がってみたら意外とひょいひょい行ける❗これなら一気に・・・・・あ・・・なんだかふくらはぎが痺れて来た?
と、感じた直後凄まじい呼吸困難に!苦しすぎて
その場にうずくまった私に「ナイスファイト❗」などと下山してきた人たちが次々に声をかけてくれる。😅
・・・やっぱ、あの外人オカシイ!
地を這うようにジリジリと頂上へ向かう。
すると、例の外人が嬉しそうな顔で杖を振り上げながらかけ降りて来た!流石に寒かったのか途中の売店で購入したとおぼしきシャツを着ていた❗(財布は持ってたのね)
まあ、そんな訳で私も山頂に到着❗
ここを登るのもしんどいなあ。
はい、お待たせしました。こちらが富士山本宮浅間大社の奥宮でございます。
あ、因みに気温は言われるほど低くはありませんでした。
せいぜいエアコンが効きすぎた部屋程度。
何せ私、奥宮に参拝するということでワイシャツで来ましたから。他の登山客は半袖半ズボンの人もちらほら。
それでは、参拝しまーす❗( ≧∀≦)ノ
中は・・・広くないですね。拝殿が社務所兼用。
ここで富士山の火口を回る御鉢周りの為の刻印を杖にしてもらいます。ひとまず神様に2礼2拍手1礼で挨拶をして御朱印ゲット。
そして御神体である富士山の火口を見に行きましょ❗( ≧∀≦)ノ
因みに奥宮の社殿を横からみるとこう。
建物は1903年に有志らがここまで材木を担いで持って来て壁はそこら辺にある石を代用。その後災害で大破し、最近改築されたらしい。
分かりにくいですが一応、本殿(遥拝所)らしきものがあります。
それでは視線を戻してもらってこちらが火口になります。この辺りにかつてはお寺やら仏像やらがあったらしいですが、明治の廃仏毀釈運動で完膚なきまでに破壊されたそうです。
日本もかつては中東のように政治と結び付いた宗教系の過激派が居たという事なんだぜ❗
それは置いといて、左の岩から湯気が出ているけど温泉でもあるのかな?
はい皆さんこちらが富士山火口です。
断言は出来ないけど多分この出っ張りがGoogle map上の「虎岩」だと思います❗
あ~・・・・😅
解るよお。コレジャナイ感半端ないもんね?
ほら。火口ってもっとこう
こんな感じじゃんね?😅
でもこれはどこからどう見ても・・・・・・
田舎によくある砕石プラント!
いわゆる舗装工事とかに使う骨材の砂利!
まんまあれを販売してるプラント❗
本当にここが直径800m深さ240m富士山の火口なんですよ❗
いや本当に。( ≧∀≦)ノ
「これが富士山の頂上である」って前提で見ないと
人によっては“ここ、どこの工事現場の写真だろう”ってなる。
奥宮で貰える御鉢回り用の杖印。
御鉢回りというのは富士山の火口を一周すること。所要時間は凡そ1時間と言われておりますが・・・・。
申し訳ありませんが、今回は力量不足で時間がなく、この摂社に御詣りして終了とさせていただきます( ;∀;)
もう降りないと19時の最終バスに間に合わない❗😅
御鉢回りについて
仏教が盛んだった江戸時代以前、山頂の剣ヶ峰、久須志岳、成就岳・・・・等の八つの峰を極楽浄土を表す八葉の蓮華に見立てて巡礼したのが起源とされ、平安時代末期には山頂に祠堂が建てられ、江戸時代始めには、藤原角行が富士登拝を盛んに行った事から庶民に広まり
次第に発展してツアーを企画したり宿を提供したり、登山の基本や見所などをレクチュアする「富士講」という登山サポート団体による登山が行われるまでになる。
・・・・・因みに、この富士講って人達、何故か未だに居ます。ガイドブックには「御山で見掛ける白装束」と書いてありますが、普通に街中で目撃したときはヤベエ新興宗教団体かとばかり思ってました。(。-∀-)
登拝者は金剛杖(1000円で売ってる木製の杖)をつき、「六根清浄(ろっこんしょうじょう・目、口、耳、鼻、身、心に不浄なものがない事を願う呪文)」を唱えながら登らねばならないらしいが、帰りにすれ違った女性パーティーが恥ずかしそうに唱えていたのしか知らないぞ?w
うーん。もう登りたく無いですが、次回機会があったら(と、いうか来月閉山する)、もう少し詳しい所を見て行きたいと思います。
とりあえず、上古時代に渡来してきた縄文人(最古の日本人)が登山愛好家だということだけは理解出来ましたし、こういう場所を天界と呼ぶ理由も理解出来ました。
天狗のモチーフになった高度な工業民族は、バックパックを背負い山を踏破しては祠を建て、その麓に文明を開き、原住民に文字や医療、農業や建築、登山を教え地域によって天使と呼ばれたりガルーダと呼ばれたり、精霊王と呼ばれたり(山の)神々の使いとして或いは現人神として崇められた・・・・・。
ある意味、かつての世界は1つだった。
山は神殿であり、文明ネットワークのシンボルであり、ピラミッドや前方後円墳(実は単なる墓ではなくて交易申請や援軍要請に必要な資格証明)と同等のものであったと思われる。