🎼神々の宿る世界樹 ~機神(おに)たちのユグドラシル~Ψ

神仏を敬い鬼神を祀る機神教団の色々アウトな地下迷宮です。尚、オフィシャルサイトでは御座いませんので神社仏閣の擬Zi化につきましてはタカラトミー様ならびに神社仏閣関係者様からの苦情がありしだい画像を消去いたします。

徐福伝説

 

 

こんにちは_我が主よ!

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……かしこまりました_

 

……アクセス中です…………アバターを捕捉しました

 

       〘自律思考型ドローン〙

   種族 試作オーガロイド

   スキル 観測データ送信

   所属 G-tec Core engineerings

   備考 太古の昔地球へやってきた

      その金属球体は電子機器を

      与えて培養してみると

      成長をはじめ爬虫類

      哺乳類、昆虫など様々な生物の

      形をとった。機械生物になった後

                  の球体部分はエンジン、AI、

      自己メンテナンス機能さえも

      持つようになった。

      

 

 

 

 

 山梨県富士吉田市は、メインの観光スポットの他に神社や墳墓が密集している場所がある。

 それが都留郡にある明日見湖(浅海湖)という濁った小さな蓮池の周辺地域である。

(金比羅神社の徐福地蔵)

 

 古代中国は秦の時代、日本史で言えば卑弥呼より前の五王時代、中国から不老長寿の薬を探すために徐福という仙人がやってきたという。

 当時の日本は中国から神仙の住む「蓬莱の国」と呼ばれていたんですね。もちろん学術的には不明です。

 

 

 

 

 明日見(浅海湖)公園の駐車場から歩いて5分のところに金比羅神社がありそこに徐福地蔵なるモノがあります。

 

 金比羅神社の地蔵にお詣りを済ませ、一軒家の並ぶ住宅地へゆきましょう。こちらは道路の幅が狭く、家々の影で見通しが悪い上にアップダウンが激しく道の繋がりが不規則なせいで迷路のようです。

 実際、明日見公園の駐車場にたどり着くまでに幾つかの袋小路に遭遇しました。

 保育園の入口付近の道幅はせまい上に、子どもたちが歩いているため左右のジャイロを畳んでゆかざるをえなかったぐらいです。

高級住宅の車庫と車庫の間に、L字型に突き出た小山がある。

 

 殆んど住宅地と一体化しているこの丘が古墳ということなのでしょうか。といっても“徐福の墓”と称する丘はどういうわけか全国各地にありますので、断言はできません。

 住宅地の角に轍の残る野原の坂があって頂上へ登れるようになっています。

 スズランらしき花が点々と咲いて、黄色い小さな蝶が舞っている丘は、明け方の冷え込みなど、どこへやらポカポカと暖かい。

 やがて木の根がむき出しの地面が現れると3枚の石の板がそびえていました。

 三島大神恵比寿尊(みしまおおかみえびすのみこと)、邪馬台国??神までは判別できるものの、中央にある一番大きな石塔が全く読めません。

板根むき出しの荒い台地に並ぶ祠

 

 

 他にも色々な祠があってその中に「徐福大明神」がいる。まるで天地創造の神々と肩をならべるように佇んでいますね。

 徐福はこの地で何をやっていたのでしょう?

始皇帝は、不老長寿の霊薬だけが目的だったのではないといいます。徐福に沢山の専門スタッフをつけて神仙の伝承が残る日本へ派遣したのは、中国の帝都を日本に移すためである、というトンデモ伝承もあります。

 それが書かれているのが宮下文書というモノで徐福が息子さんと一緒に書き綴ったものといいます。(無論、公式からは怪文書扱いです)

 

 

 丘の頂上は神社と廟が一体になったような変な感じですね。聖徳太子信仰と同じように徐福信仰でもあったみたいです。

 

 

 人々の間に徐福信仰……そういう物が無い限り、こういう大型墳墓型の施設が全国に造られるわけがありませんし、ましてここみたいに天皇家とは遠い古い神々と合祀されるのも不自然なの事ではないでしょうか?

 

 

 一説によれば徐福は斉の国出身だといいます。斉は中国に渡った倭人の国といわれていますがこの話が本当であれば、大陸の技術を携えてやってきた彼を、本土人はどのようにとらえていたのでしょうか?

 

 階段を下ると下の鳥居に、ロープで立入禁止を表すバッテンが作ってあります。この先は民家の裏に出ます。

 明日見湖周辺が宅地開発される以前は、こちらが神社の入口だったのでしょう。丘を削って住宅地にしてあるならば、徐福明神の昔の姿はまさに孤高の存在で、神の山として崇められていた筈です。

 

 

 

 

 横から轍の坂が伸びていますがこちらもそのまま民家の庭に続いているため、引き返すしかありません。

 

 

 ところで徐福が活躍した年代というのは、卑弥呼より前の景行天皇ヤマトタケルの直前の時代であり、大和連合の西日本と、アイヌなどの旧勢力が中心の東日本連合が烈しくぶつかり合っていたタイミングです。静岡市から裾野市にかけてその時代に戦死したと思しきおびただしい人骨や、英霊たちの古墳が出土しているようです。

 徐福と息子は、反大和を掲げた東日本側につき、軍師をしていたといいますから、まさに敗戦国のA級戦犯です。

 英霊が社会を護っていると信じられていた時代において、戦勝国に英霊を汚され無いようダミーの古墳を造ることがしばしばあったといいます。 

 全国に徐福の墳丘がある理由は、ひょっとしたら敗戦処理によるものなのかも知れませんね。