🎼桃園の男
SPEC・・・・<名前>ヨコハマ・カンテイ廟(4号機) Ψ祭神 関聖帝君 ∞三国演義 🔶祭り 正月、春節(旧暦1月1日)、関帝誕(旧暦6月24日) 《発掘地》〒231-0023 神奈川県横浜市中区山下町140・・・・・・西暦160年6月24日(旧暦)、西方大陸の河東郡解県常平村に男の子が産まれる。目鼻立ちの整ったその男の子は祖父の元でくる日もくる日も修行に明け暮れ、武術の他に周経や春秋といった難解な書物をも勉強した。聡明だがおっちょこちょいな一面もある彼の名は関羽。字(あざな)は雲長という。
字(あざな)と言うのは、社会に出た時の表向きの名前。「関羽」は諱(いみな)で、魂に直結している本当の名前。これを他人に知られてしまうと魂を操られたり呪術を掛けられたりしてしまうため、それを防ぐ為に仮の名前である字(あざな)を使うことが一般的でした。
諱(いみな)である本名は親や最悪結婚相手にしか知られてはなりません。命懸けですからね?
当然、諱=本名を知っているからと言って、諱で呼ぶことは昔の人にとって悪意を伴うとても危険な行為でした。
雲長(関羽)が暮らす村には、塩湖があり、そこで採れる塩が特産品でした。当時塩は黄金並みに価値がありましたから、これだけ聞くと一見何不自由ない暮らしが出来そうなものですが、そうは問屋が卸さない❗ 結局、秦崩壊以降、理不尽な動乱や政権交代が続いており、里の者はそこを支配している豪族や山賊から定期的に搾取や略奪されてしまうのが世の常の荒んだ時代でした。正規軍も山賊も住民にしてみれば「ならず者」でしか無く、力こそ正義と言わんばかりの彼等の狼藉を取り締まるマトモな法や組織も存在しません。そのような武装勢力から土地を寄越せと言われたら土地や財産を明け渡すしか無く、娘を渡せと言われたら差し出すしか術はありません。塩湖のような収入源があろうと人々の心は暗かったのです。
雲長(関羽)が18歳になった頃、とうとうやりたい放題の豪族とトラブルになり、雲長は豪族を斬り殺してしまいます。
豪族は土地の支配一族ですから、雲長(関羽)はその日から追われる身になってしまいました。個人による武術も学問も腐敗した世界の中では余りに無力でした・・・・・。
その後、亡命中に起きていた五斗米道(後の道教)による「黄巾の乱」に立ち向かう漢王朝の末裔を名乗る劉備やその義兄弟の張飛と出逢い意気投合し、戦いの荒野へ身を投じる。武将としては兵站に精通し、記帳にも長けてオリジナルの簿記法 “大福帳”なるものを編みだしそれが世に広まったりもした。誠実な性格と並外れた教養を見た劉備は彼に惚れこみまた関羽は劉備の語る国家構想に自分の進むべき道を見つけ夢を託すことに。何時しか二人は諱を呼び合う程の仲に。
その後、ライバルの曹操に捕まるも、教養の高さと戦闘の強さもさることながら関羽の人としての器に胸を打たれた曹操は、心底惚れてしまう。なかなか部下になることを承諾しない関羽を振り向かせようと一計を案じる。まず劉備の奥方を人質として脅し強引に従わせる。その次に贈り物を贈りじわじわ惚れさせる駆け引き。関羽は3つの条件で曹操の部下になることを承諾した。1、劉備の奥方の安全 2、俺はお前に仕えるのではなく平和を取り戻す為にお前に協力する。 3、時が来たら劉備の元へ帰る許可。
関羽は曹操からどんな物をプレゼントされようと突き返し劉備の元へ速く帰れる赤兎馬のみを受け取った。
その後、善戦を繰り広げ大きな戦果をおさめる。
全ては劉備の元へ帰る為に・・・・片想いであることを悟った曹操は、劉備の元へ帰ろうとする関羽を引き留めようとした部下を下がらせ、代わりに沢山の贈り物をして関羽を送り出そうとするも、やはり関羽からは断られてしまう・・・・曹操は赤兎馬に跨がる関羽を見ていることしか出来ませんでした。
しかし・・・その後関羽は呉軍の手によって殺害されたとの報が入った。曹操は呉に対し曹操の亡骸の引き渡し要求し関羽を弔ったという。
そして彼の誠を尽くし約束事を守る精神が商人にとって最も大事なことである事から、関羽は商売の神様として祭られることになった。
伊勢山皇大神宮を後に、本来の目的である中華街を目指しまーす!
やっぱり、都会は都会で歩いてるだけで楽しいですねえw・・・・水が不味すぎるのがたまに傷ですが。薬臭いと言うか、多分リサイクル水だからなんでしょうが😅
はい、聖地の中華街とうちゃーく!
大昔、外国人の為に居住区を拓いたところ、中国人がいっぱい住み着いて形成されました・・・が、この人達が実は日本の近代化に貢献してきた事はあんまり知られていないような気がします。
そもそも、日本が鎖国を解除した頃、まだまだ欧米と複雑な取引が出来るほど民間人は語学や交渉力があった訳ではありませんでしたし、有利にするコネがある訳でもありませんでした。
そんな中で仲介役を果たしたのが、欧米人に随伴していた華僑と呼ばれる人達でした。
日本人と馴染みが深いこともあって、色々と便宜を図ってくれていたようです。
明治時代の影の功労者と言えるかも知れません。
といってる間に、関帝廟に到着です❗
龍がカッコいい
では・・・・参拝しまーす❗
・・・・・が!
ここは神社でもお寺でも無いので、参拝の仕方がわからん😭💦💦
そんな時は社務所的な所があるので聞いて見ましょう。基本的にお堂の中に立ち入らない限りにおいて自由に見学することが出来ますが、それは参拝ではない。
参拝の第一歩は、この社務所の券売機で線香と黄色い紙(神様へのお礼で天界の紙幣)を購入します。一人用でトータル1500円。(高いな😅)
後は、初めての旨を伝えれば神官の方が付き添ってアドバイスしてくれますので心配無用です。
まず最初に階段を上り、お堂の中に入り、仏前的な場所に黄色い紙(天界の紙幣)をお供えして外に出ます。
そうすると外で神官が火のついた5本の線香の束を渡してくれますので合祀されている神々へ挨拶とお清めの義を行います。
まずは、天の神に。日本で言うところのアマテラスといったところでしょうか?門の上部に太陽の紋章があるのでそこへ向けて線香を掲げながらお辞儀を三回して、1番の香炉にお香を刺します。
もう一度お辞儀。
その手順を1番~5番までの香炉で行った後にお堂へ入り、関羽様の前へ。
ひざまづいて三回お辞儀をした後に手を合わせて心の中で名前、生年月日、年齢、住所等を告げでお願い事や心配事等を語らいます!終わったらお辞儀。
神様の像は三体あるのでそれぞれの前で行います。
最後に、謁見して下さった御礼、それからこれから願い事を叶えてくれた場合の前払い金として黄色い紙を焼却炉で丁寧に焼きます。焼却炉横に着火装置あり。初めは一枚ずつ火をつけてくべて行きましょう🎵
火力が増して来ると、焼却炉の口の棚の部分に紙束をおいて置くだけで何故か一枚ずつ紙が吸い込まれて行くようになります。
これにて参拝終了です!お願い事をもう一押ししたいなーと思ったら、↑この蝋燭を灯すと良いそうです❗
今回入手したアイテム
・御守りカード ・カエル